キリスト教徒とイスラム教徒の衝突という中世史最大の事件「十字軍」を描いたシリーズの最終巻です。
この巻では、1187年に十字軍側がハッティンの戦いでサラディンに敗北し、エルサレムだけでなくパレスティナ地方のほとんど喪失したところから、1306年にパレスティナを失陥氏して行き場所を失いフランスに帰国した聖堂騎士団をフランス王フィリップ4世が処刑するまでを描いてます。
本書で記述されている十字軍の概要は、以下のとおりです。
第3次十字軍 1187年のエルサレム失陥という大事件は、当時の西ヨーロッパを震撼させ、その結果、ドイツ、イギリス、フランスの大国が中心となって自然発生的に第3次十字軍が組織され、パレスティナに向けて侵攻します。
第3次十字軍は、イギリスのリチャード獅子心(ライオンハート)王とイスラムの盟主サラディンとの攻防、フランス王フィリップ二世の謀略と裏切りなど、第1次十字軍と同じくらいにドラマティックに展開します。
パレスティナ海岸地域の支配を回復した第3次十字軍は、『成功した十字軍』であったようです。
第4次十字軍 1202年からの第4次十字軍は、パレスティナに居住しているキリスト教徒、イスラムと交易している商人たちによって、余計なお世話な十字軍であったようです。
第3次十字軍の成果によってエルサレム巡礼の安全はイスラム側によって保障され、休戦協定は順調に更新されていた時期、パレスティナはキリスト教徒とイスラム教徒が共生する平和を享受した時代だったようで、「そんな平和を乱す十字軍はカトリックとイスラムの共通の敵であるビザンチンにでも送り込んでしまおうという」的な流れだったのかも知れません。
十字軍に参加した諸侯は、ビザンチン帝国を征服して所領を獲得したわけで、
そもそも、十字軍というのは騎士たちが一山あてに行くための侵略行為だったというふうに考えれば、この遠征はある意味大成功。。。だったのかもしれません。
第5次十字軍 大国の国王が主導した第3次十字軍、海の貴婦人であるヴェネツィアが主導した第4次十字軍が相応の成果を挙げた反面、『嫌がる現地の騎士たちをローマ教皇がたきつけて』遂行された第5次十字軍は、教皇の指導のもと、大失敗に終わった十字軍です。
パレスティナ在住の騎士たちを無理やりエジプトに遠征させた侵略行で、アイユーブ朝の内患時期でもあったため、適当な折り合いをつければエルサレムの回復も可能であったのにも関わらず、教皇代理の『血をもって奪還すべし』との頑固頑迷な心情がすべてを台無しにした遠征です。
第6次十字軍 法王の敵「ドイツ皇帝フリードリッヒ」が指導した第6次十字軍は、十分な準備と戦略的思考と粘り強い交渉で、「戦わずしてエルサレムを回復した十字軍」です。
大きな戦闘行為を行なうことなく、和解によってエルサレムの支配を取り戻しています。
第7次十字軍 フランスの聖王ルイ9世が指揮した第7次十字軍は、『余計な十字軍』で、結果としては、全員がマムルークの捕虜となる結末だけではなく、キリスト教徒との共生を模索していたアイユーブ朝の内患を助長し、キリスト教徒に対して強行な姿勢をとるマムルーク朝への政変を助ける結果となっています。
第8次十字軍 第7次十字軍で、大失敗したルイ9世の再挑戦となる第8次十字軍は、カルタゴに上陸したものの補給が整わず自滅した十字軍です。。。
キリスト教徒との共生を模索していたエジプトのアイユーブ朝は、第7次十字軍を切っ掛けとした内紛で滅亡。パレスティナの十字軍国家は、1291年、アイユーブに代わってエジプトの主となったマムルーク朝によって消滅します。パレスティナにおけるキリスト教最後の拠点「アッコン失陥」の下りはかなり詳しく書かれています。
十字軍の時代は、1306年の聖堂騎士団の処刑で終わります。
十字軍の通史として痛快に読み進めることができた4冊でした。
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