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 紹 介 
 日本史と比べたら、よくわからない世界史を理解するには、読みやすい小説から入るのが一番

 これまで読みためたおすすめの本、今読んでいる推奨の一冊、これから読みたいあこがれの名書を書きつづります。

紹介した本の一覧

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文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)
(2012/12/04)
ジャレド ダイアモンド

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 歴史上の文明崩壊を「人為の環境破壊」、「気候の変動」、「近隣の敵対集団」、「近隣の有効集団からの支援減少」、「文明社会の自己対応」の5つの観点から詳細に分析した長著です。

 10世紀頃、漁業資源は乏しいものの、豊かな木材資源と肥沃な土壌を有するイースター島に入植したポリネシア人々は、14世紀頃には1万人から2万人まで人口が増加します。
 比較的高緯度に位置し、乾燥した気候のイースター島では樹木の生長が遅く、人々の生活燃料として、モアイ像の運搬用具としての樹木が消費され、更に生活空間、農地、牧畜場確保のための伐採で森林が急速に失われます。
 樹木が失われた土壌は風雨の浸食を受け栄養分が失われ、耕作可能面積が少なくなります。
 森林を喪失したことにより野生の食糧確保が困難となり、農耕・牧畜による食糧獲得もできなくなった島民たちは、結果深刻な食糧不足に陥り、残った耕作可能地域や少ない漁場を巡って部族間で武力闘争を行い人肉食で飢えを凌ぐようになります。
 窮状の救いを神威に期待した島民たちは、モアイを作るために最後の木々を自らの手で切り倒します。
 「自らの環境破壊」が招いた食糧不足と、指導的な立場にいた者たちが、自らの短期的な利益を優先させ窮状を打開するための長期的な対策を怠った「文明社会の自己対応」が文明崩壊に至った例として紹介されています。

 「人為の環境破壊」、「文明社会の自己対応」と「気候の変動」が崩壊の原因となった例として中世のグリーンランドが、「気候の変動」と「敵対集団」による例としてマヤ文明が、「近隣の有効集団からの支援減少」の例としてピトケアン島とヘンダーソン島等が紹介されています。
 また、「文明社会の自己対応」すなわち社会が自分自身の努力で存続に成功した例として江戸時代の日本、20世紀のドミニカ、南太平洋サンタクルーズ諸島のティコピアなどが挙げられています。

 科学的、歴史的、文化的な側面から様々な「文明」の崩壊の原因を分析している読み応えのある本でした。

文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)
(2012/12/04)
ジャレド ダイアモンド

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朱元璋 皇帝の貌朱元璋 皇帝の貌
(2010/11/03)
小前 亮

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 14世紀から17世紀の間、中国全土を支配した明王朝の創始者で初代皇帝の洪武帝(こうぶてい)朱元璋(しゅげんしょう)を主人公とした小説です。
 朱元璋は、「冷徹な激情家」で、後に清の世祖順治帝から「史上最もすぐれた君主」と称されています。

 朱元璋は、元末、現在の安徽省鳳陽県の貧農の家の末子に生まれ、17歳のときに飢饉・凶作で家族を失ってしまいます。朱元璋だけは皇覚寺にはいって、ようやく食を得ますが、当時は寺院でも食べ物があまりなかったようで、托鉢僧として乞食同然の生活を経験します。全世界の帝王・王朝創始者の中でも最も悲惨な境遇から身を起こした人物といわれる所以です。
 1352年、25歳のときに、白蓮教徒による紅巾軍に参加、急速に勢力を広げ、南京周辺の農業生産地域を基盤として41歳で中国南部を統一し、帝位に付きます。

 この小説では、家族を失った末っ子が、乞食生活で社会の実相を学び、反乱軍では部下思いの小隊長から厳しい部隊長へ、更に残虐性を備えた全軍の指揮官へと成長というより変貌し、宿敵である長江上流の陳友諒、江南の張士誠を討ち、淮南、江南を統一するところまでを描いています。
 著者である小前亮氏の作品は、これまでにいくつか紹介してきましたが、いつも「人」の変化というものを上手に書いていると感じます。

 歴史小説の主人公というものは、どうしても「正義感が強く、武芸に秀でたヒーロー」という描かれ方をして、史実のイメージと主人公のイメージと合わない部分は小説の内容から割愛したり、最後にドタバタと史実に無理やり合わせるような不自然な書き方になったりしてしまうものなのですが、小前亮氏は作品では主人公の成長でなく、変貌という感じで書いているので史実が歪曲されることなく書かれているような気がします。
 朱元璋は、貧民を救済するという強い意志を貫く、残虐性を兼ね備えた人物として描かれています。


 洪武帝は、中国統一後、重農政策を打ち出し、地方官の治績評価に流民の定着と農地回復の度合いを加え、治水事業を一斉に行い、全国の堤防を修繕したり、大商人を弾圧して、大商人や大地主の財産を没収、荒地の開拓地への強制移住などを行う一方、不当な商税を廃して、生活必需品を扱うような零細な商人の保護も行っています。
 史実として有名なのは、晩年の大粛清で、71歳で死ぬまで功臣を粛清し続け、3万を越える人数が誅殺されたとされています。

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物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書)物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書)
(2008/09)
安達 正勝

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 1799年のバスチーユ陥落から1804年のナポレオン戴冠までの「フランス革命」を駆け足で俯瞰した一冊です。
 フランス革命がどんな革命であったのか、どんなことが起こっていたのかを手っ取り早く把握したいという人にお勧めです。
 著者は「まえがき」で『世界史上の十大事件に確実に入る出来事・・・を、できるだけ具体的実感をもって伝えたい』と本書著作の動機を述べています。
 フランス国王ルイ16世、高級娼婦テロワーニュ・ド・メリクール、王妃の愛人フェルセン、死刑執行人で慈善事業家のサンソン、暗殺の天使シャルロッテ・コルテなど、革命の進捗のなかで当時の世相を代表するような人物にスポットライトを当てつつ、できるだけ物語風に実物中心に書かれていて、テンポよく「時代」を理解できます。
 革命初期の中心的指導者ミラボー、革命の雄ダントン、恐怖政治を推進したマラー、独裁者ロベスピエール、など有名人が多数いて複雑で難解なフランス革命をとても解りやすく書いてます。

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 アメリカ独立戦争に荷担して財政難を招いたルイ16世が貴族と聖職者に税金を課そうとして招集した三部会は、国王の意向に反して国民議会、憲法制定国民議会に変質し、政治的な混乱と前年の不作の影響でパリの物価が高騰しはじめると、パリの数千の女性達が武器を持ってヴェルサイユ宮殿に乱入、国王に食糧を要求するだけでなく、パリのテュイルリー宮殿に国王と家族を拉致します。
 この頃までは、「革命」と言っても「国王」は国民に愛される存在であり、当時はロベスピエールでさえ立憲君主制による国王制の存続を意識しています。
 穏健的な革命が一段落して、これから立憲君主制を進めようとするときに国王がオーストリアに擁護を求める逃亡を未遂したことから状況が一気に王政廃止に向かい、プロシア、オーストリアの介入によって状況が更に深刻となり、国王の処刑、恐怖政治による反革命勢力の排除、テルミドールのクーデター、ナポレオンの登場と皇帝戴冠という時代の流れとなります。

 そんな大きな革命の流れをしっかりと把握できます。


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十字軍物語〈3〉十字軍物語〈3〉
(2011/12)
塩野 七生

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 キリスト教徒とイスラム教徒の衝突という中世史最大の事件「十字軍」を描いたシリーズの最終巻です。
 この巻では、1187年に十字軍側がハッティンの戦いでサラディンに敗北し、エルサレムだけでなくパレスティナ地方のほとんど喪失したところから、1306年にパレスティナを失陥氏して行き場所を失いフランスに帰国した聖堂騎士団をフランス王フィリップ4世が処刑するまでを描いてます。
 本書で記述されている十字軍の概要は、以下のとおりです。

第3次十字軍
 1187年のエルサレム失陥という大事件は、当時の西ヨーロッパを震撼させ、その結果、ドイツ、イギリス、フランスの大国が中心となって自然発生的に第3次十字軍が組織され、パレスティナに向けて侵攻します。
 第3次十字軍は、イギリスのリチャード獅子心(ライオンハート)王とイスラムの盟主サラディンとの攻防、フランス王フィリップ二世の謀略と裏切りなど、第1次十字軍と同じくらいにドラマティックに展開します。
 パレスティナ海岸地域の支配を回復した第3次十字軍は、『成功した十字軍』であったようです。

第4次十字軍
 1202年からの第4次十字軍は、パレスティナに居住しているキリスト教徒、イスラムと交易している商人たちによって、余計なお世話な十字軍であったようです。
 第3次十字軍の成果によってエルサレム巡礼の安全はイスラム側によって保障され、休戦協定は順調に更新されていた時期、パレスティナはキリスト教徒とイスラム教徒が共生する平和を享受した時代だったようで、「そんな平和を乱す十字軍はカトリックとイスラムの共通の敵であるビザンチンにでも送り込んでしまおうという」的な流れだったのかも知れません。
 十字軍に参加した諸侯は、ビザンチン帝国を征服して所領を獲得したわけで、そもそも、十字軍というのは騎士たちが一山あてに行くための侵略行為だったというふうに考えれば、この遠征はある意味大成功。。。だったのかもしれません。

第5次十字軍
 大国の国王が主導した第3次十字軍、海の貴婦人であるヴェネツィアが主導した第4次十字軍が相応の成果を挙げた反面、『嫌がる現地の騎士たちをローマ教皇がたきつけて』遂行された第5次十字軍は、教皇の指導のもと、大失敗に終わった十字軍です。 
 パレスティナ在住の騎士たちを無理やりエジプトに遠征させた侵略行で、アイユーブ朝の内患時期でもあったため、適当な折り合いをつければエルサレムの回復も可能であったのにも関わらず、教皇代理の『血をもって奪還すべし』との頑固頑迷な心情がすべてを台無しにした遠征です。

第6次十字軍
 法王の敵「ドイツ皇帝フリードリッヒ」が指導した第6次十字軍は、十分な準備と戦略的思考と粘り強い交渉で、「戦わずしてエルサレムを回復した十字軍」です。
 大きな戦闘行為を行なうことなく、和解によってエルサレムの支配を取り戻しています。

第7次十字軍
 フランスの聖王ルイ9世が指揮した第7次十字軍は、『余計な十字軍』で、結果としては、全員がマムルークの捕虜となる結末だけではなく、キリスト教徒との共生を模索していたアイユーブ朝の内患を助長し、キリスト教徒に対して強行な姿勢をとるマムルーク朝への政変を助ける結果となっています。

第8次十字軍
 第7次十字軍で、大失敗したルイ9世の再挑戦となる第8次十字軍は、カルタゴに上陸したものの補給が整わず自滅した十字軍です。。。

 キリスト教徒との共生を模索していたエジプトのアイユーブ朝は、第7次十字軍を切っ掛けとした内紛で滅亡。パレスティナの十字軍国家は、1291年、アイユーブに代わってエジプトの主となったマムルーク朝によって消滅します。パレスティナにおけるキリスト教最後の拠点「アッコン失陥」の下りはかなり詳しく書かれています。
 十字軍の時代は、1306年の聖堂騎士団の処刑で終わります。
 十字軍の通史として痛快に読み進めることができた4冊でした。

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ローマ人の物語〈15〉ローマ世界の終焉ローマ人の物語〈15〉ローマ世界の終焉
(2006/12)
塩野 七生

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古代ローマの歴史について書いた小説全15巻の最終巻です。
 
 紀元324年にコンスタンティヌス帝によって再統一されたローマ帝国は、「市民の代表」たる皇帝の支配から「キリスト教」に基づく「神に選ばれた皇帝」による支配に変貌します。
 ローマ軍はかっての市民兵団からゲルマン人主体の軍隊に変化し、キリスト教が国教として裁判権までを自由にし、自由でおおらかな「ローマ」というものは完全に過去のものとなっています。

 本書は、統一ローマ帝国の最後の皇帝となったテオドシウスの臨終の場面から始まります。
 テオドシウスは死に際して、長男のアルカディウスを東地域の、次男のホノリウスを西地域の支配者として指名します。
 テオドシウス自身は、ローマ帝国を東西に分割するつもりはなく、100年前のディオクレティアヌス帝以降、制度として定着していた東西に皇帝を置いて広すぎる版図の安全保障を分担することを念頭に置いた指名であったと著者は書いています。
 テオドシウス死後、東西に分けられた東西ローマは急速に疎遠となります。
 西ローマ帝国は、東方からアラリックの西ゴート族、アッティラのフン族の侵入、アフリカに渡ったゲイセリックのヴァンダル族の劫略を受け、476年9月4日に傭兵隊長オドアケルによって皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され消滅します。
 紀元前753年から続いたローマ国家の「滅亡」というより消滅という表現が適切な終わり方です。

 オドアケルは、東ローマ帝国から派遣された(実際には厄介払いされた)東ゴート族テオドリック王に掃討され、テオドリックは東ローマ皇帝ゼノンに従属し、東の皇帝に任命された地方長官の資格でイタリアを統治します。
 以降、旧西ローマ帝国の版図であった領域に成立したフランク族等のゲルマン系諸王国の多くは、消滅した西の皇帝に替わって東の皇帝の宗主権を仰ぎ、東の皇帝に任命された地方長官の資格で統治を行っていきます。
 これらのゲルマン諸国が中世ヨーロッパの原型となる訳です。

 ローマ人の物語の最終巻は、西ローマ帝国消滅後の東ゴート族テオドリックによる「蛮族による平和(パスク・バルバリカ)」、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスによる帝国の再建のためのイタリア戦役の終結までを書いています。
 東ゴート族テオドリックは、ローマ人との共生を重視して、半世紀に渡る平和なイタリアを実現します。中世ドイツの叙事詩『ヒルデブラントの歌』、『ニーベルンゲンの歌』などに登場する人物「ディートリヒ・フォン・ベルン」は、このテオドリックがモデルとされています。
 ユスティニアヌスは、帝国の再建とキリスト教の異端であるアリウス派駆逐を名分として、イタリアに侵攻して東ゴート族と20年に渡る戦役を行い、イタリアを徹底的に荒廃させ1000年かけて開発されてきたイタリア本土を壊滅させます。
イタリア戦役が終結した西暦554年がまさに、名実ともにローマが消え去ったときという理解です。

 紀元3世紀以降、ローマ帝国に侵入してきたゲルマン人が最後はローマ文化の保護者となり、ローマ帝国の末裔である東ローマ帝国がイタリアローマ文化を破壊していく様というのはかなり複雑な感じがします。


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